義母を連れてよく買い物に行った。
そして、必ずカフェに寄ります。
当時、日本でも流行っていたパンケーキも
タイでも流行っていた。
どんな物にでも興味を持つ義母。
まず、食べてみる。
こんな、人だから、92歳にして海外で暮らすことに何のためらいもなく
決断できたのだろう。
そして、外国を楽しんだ。
私も、負けずに楽しもう!
お義母さん❗️ 楽しかったね❣️

義母を連れてよく買い物に行った。
そして、必ずカフェに寄ります。
当時、日本でも流行っていたパンケーキも
タイでも流行っていた。
どんな物にでも興味を持つ義母。
まず、食べてみる。
こんな、人だから、92歳にして海外で暮らすことに何のためらいもなく
決断できたのだろう。
そして、外国を楽しんだ。
私も、負けずに楽しもう!
お義母さん❗️ 楽しかったね❣️
今日は、一日何処にも出かけず2人で家で過ごした。
もう、暑くなってきたが、まだまだ耐えられる。
YouTube を見ながら、懐かしい唄を一緒に唄ったり、その頃を懐かしんだり。
同い歳の2人。
同じ頃を懐かしみ語れることに、幸せを感じた。
ゆったりと、何にも縛られず、時間を気にせず過ごせている。
やっと、2人の時間を楽しめるようになったのだ。
心おきなく。
今までは、何処かで、義母の存在を感じていて
『悪いなぁ』楽しんでいて……
そんな、後ろめたさのように、心がざわめいていた。
こんな風に思えるまで、半年。
今は、後半3年の介護を含めて義母と過ごせた8年のタイ🇹🇭生活に感謝できる。
ここでできた友人は、一生お付き合いできる、かけがえの無いものに
なっている、
義母が、タイに🇹🇭行くと言わなければ、来なかったであろうパクチの国(笑)
「今日は、俺がなんか作るよ!」
夫の得意料理。
“鶏皮🐓料理”
今迄何度も作って貰っているのに、今日の味は格別だった。
こんな、時間を大切にしたいと……
ゆで卵とブロッコリーのサラダ作って見ました。
ブロッコリーが苦手な夫の為に、みじん切りにして混ぜました。
まったく💢子供に食べさせているようです。
好き嫌いは、大人になっても直らないですね!
実は、義母もブロッコリーが嫌いでした。
「身体に良いですよ」と言うと義母は、
「そうなの!」と、頑張って食べてくれた。
“身体にイイって、今更……頑張って食べなくても良いよ”
と、夫。
「おまえも、頑張って食べなさい」
「……」無言の夫(笑) 母には弱い。😅
私は、好きなので買ってきても、2人になったら余ってしまい、
味が落ちてしまいます。
みじん切りにした物は食べましたが、形のある物は手付かず。
器は、タイに来て習った陶芸での作品です。
思ったような色にはなりませんでしたが、
ケッコウ気にしていっております。😊
一年間の火炎樹の移り変わり❗️
月に何度か行くマッサージ店の近くに公園がある。
夕方には、犬🐕を散歩させる人。
周りをジョギングする人で、賑やかな公園だ。
日中の暑い時間は🥵流石に子供の声だけが響く。
台風のような💨強風の後、回りの木(結構大木)が倒れていた。
屋根を剥ぎ取られた家もあり、停電もあった。
有難いことに、我が家は無事だった。
枯れたように見える火炎樹。
流石に、切り倒されるかも知れないと写真に収めた。
後日、マッサージ店に行くため公園の近くに車を止めた。
まだ、切り倒させていないことに、少し安堵。
回りにあった、なぎ倒された木々は綺麗に片付けられていた。
内心、切り倒された後の姿を見るのは辛い。
そう思って、マッサージに行くのもためらっていたのだが、
枯れたように見えていた木に、チラホラ赤い花が見え始めた。
“生きていたんだ〜” と、思わず叫んでしまった。
車から🚗降りて、木を摩り 「良かったね〜! 頑張ったネ〜」
ほどなくして、行ってみると、満開で見事な色に変わっていた。
嬉しい😊❣️
暫く、楽しませた後は、緑一色になりました。
吹き抜ける風が葉音を奏で、穏やかな気持ちにさせてくれます。
火炎樹の生命力と義母を重ね合わせ、見ていると、力が漲ってきます。
夫の友人に誘われて、夕食を、外で食べることに。
2人で、外食のため出かけることは、義母が歩けなくなってからは、出来なかった。
呑み会後の、夫を迎えに行くのも、義母をベットに寝かせてからだった。
義母はその度に「なんで、ひとりで帰ってこられないの❗️子供じゃあるまいし」「迎えに来てもらわなきゃ帰れないなら、行かなきゃ良いんでしょ‼️」
と、私には、強い口調で言うのだが、息子である夫には一度も文句を言ったことがなかった。
私は、知っていましたよ!お義母さん。
ひとりで、留守番をするのが嫌だったんですよね。少しの時間でも。
気持ちは分かります。
別に、ひとりで帰って来られない分けではないのです。
夜は、ソンテウが中々つかまらないのよね。
酔って、何かあったら困るので🤭向かえに行くのです。
だって、ここは、外国ですもの。
2人とも、タイ料理が苦手だから、和食にしましょう!
と、言ってくださり、和食店に。
この店は、日本人の夫と、タイ人女性夫婦が切り盛りしている。
チェンマイに来て、私たちが始めて知り合った現地の人達でした。
色々とお世話になった。
若い2人が、小さな子供2人を育てながら、他国で頑張っていた。
知り合った頃は、違う商売をしていたのだが、悩んでいた。
若い2人は、とても真面目で “もっと何か大きく頑張れるはず”
とても、意欲的だった。
夫は、日本で、マーケティングのコンサルティングなども、していたので
自宅に呼び🏠手料理を振舞いながら(和食で。)
タイの事情🇹🇭も聞きながら、アドバイスをしてあげた。
そして、ほどなくして、焼き肉店を、始めた。
今は、和食の店も。
もう、何年も休みなしで頑張っている。
家族を連れて、日本に行くのが夢だと言っていた。
お母さんに、家族を見せたいという。
何件も、店舗を増やし夫婦でフル回転だ。
私たちは、嬉しくて、遠くから見守り応援している。
メニューを見ただけで、テンションが上がる。
食事を終えて外に出ると、待客が数人😄
嬉しい‼️
今日は、2月14日。
気温33度、爽やかな風が吹き
1番過ごしやすい季節なのですが。
何故か、犬は、服を着せられている。
だからか、歩き方も機敏ではない。
確かに、朝はチョット肌寒い日😨も、あることはありますが、
毛皮に覆われている犬に🐕必要ないと思う。
日陰を、トボトボ歩いている。
脱がせてあげたい。
日本の、🇯🇵雪の中を☃️走り回る犬を見せてあげたい。
「あまり辛くない美味しいタイ料理がの店を見つけた。」と、友人から
ランチのお誘い。
タイ🇹🇭に来て8年が過ぎたのに、未だにパクチーが苦手である。
「パクチーは入れないで」と注文すれば大丈夫だから行きましょう!
ソロソロ慣れても良さそうなもの。
でも、義母も夫も嫌いなので、外食でもタイ🇹🇭料理は食べたことがない。
最初は食べられなかったけど、今は大好きになったわよ❣️
先輩ロングステイヤーがいう。
日本の食材も🇯🇵いろいろあるし、お家ご飯に困ったことはなかった。
義母が亡くなって、ランチに誘われることが多くなり、嬉しいのだけれど😆
タイ料理🇹🇭でのランチはお断りしていたのですが、あまり、ワガママを言っては、折角誘ってくれるのに申し訳ないと思い出かけた。
上にのっかっている大量のパクチーは、取り除いてくれて、パクチー大好きな友人が食べてくれる。
でも、春巻きの中にもしっかりパクチーが入っていて、揚げたお豆腐に付けて食べるドレッシングにもバッチリ刻んだパクチーが。
麺の🍝上のパクチーは、取り除いてくれたが、スープはパクチー味😂
何も付けずに、お豆腐だけ食べた。
“味気ない”
何を食べても、パクチーが追いかけてくる。
途中で、口をゆすぎに席をたった。
あぁ〜ぁ。
やっぱり好きになれそうにない。
タイに🇹🇭来てパクチーが食べられないのはかわいそう‼️
友人が同情してくれる。
イヤ!
同情してくれているのではなさそうだ。
タイを🇹🇭楽しめていない!
と言うことらしい。
いいえ❗️
パクチーを食べられなくても、タイを🇹🇭充分楽しんでいますよ‼️
昨日は、友人4人で、フレンチ、ランチ。
タイは🇹🇭今がいちばん過ごしやすい気候です。
先日、季節外れんの雨が☔️が降ってくれたので、
煙害(野焼きのため)太陽が☀️見えないことがあったので、
雨で洗われて、とても、気持ちが良い、
爽やかな1日でした。
ガーデンハウスだったので、心地良い風に、会話も弾み
コーヒーに、スイーツ🍨。
夕方まで、時間を忘れて過ごしました。
義母が逝って4ヶ月。
今までは、ランチを楽しんでいても、
途中で、義母が待っているからソロソロ帰らなくちゃ…
と、腰が落ち着かなかったけど、今は、
その想いが消えていくのがわかります。
分かると同時に、思い出さない自分を、何処かで責めています。
organicと書かれた看板が目につき近寄って見ると、
黄色い普通のバナナの横に、ひときわ大きなバナナ🍌
色んな種類のバナナがある事は知ってはいたが、
紫に近いオレンジ❓
一本いっぽんが太い。
根本を見てもかなり大きな木にぶら下がっていたらしい。
手に取って見ると “重い”
ずっしり感が伝わるだろうか。
お店のお姉さんが、親指を立てて
「アローイ! アローイ‼️」(おいしい! おいしい)
さかんに薦めてくれる。
“ひとりで食べきれないなぁ”
夫は、ほとんど食べない。
でも、味が気になる。
とうとう買ってしまった。
家に戻って、早速いっぽん試食。
皮は薄く(たまに皮が異常に厚くて中味が細いのがある)食べ応え充分。
『ん⁉️』
💡 “なんとも言えない美味しさ”❣️
ネットリ感。甘さ❣️💕
買って正解でした。
きっと、残さず食べられる‼️
生前義母がよく言っておりました。
自分たちには青春時代は、無かったようなものだと。
17歳から10年。
戦争によって、自由は、無いも同然。
着る物は、全て黒に染めさせられた。
そんな締め付けられた生活の中でも、義母は、オシャレを楽しんだといいます♪
黒いモンペの上に、赤い伊達締めを、少しのぞかせる。
「黒に赤は映えるのよ❗️」
嬉しそうに話す。
義母は、いくつになってもオシャレだった。
車椅子生活になっても、新しいブラウス、特に明るい色で若々しいデザインの物を選んで私が買ってくると、嬉しそうに袖を通す。
亡くなってから、義母の日記の中に、
“今日は◯私さんが素敵なブラウスを買ってきてくれた。
早速着てみる。鏡の中の私に、アラ! 結構似合っているじゃない!
まだまだ、私も捨てたもんじゃないわ😊と思ってしまう。
歳は、関係ないもの”
と。
着る物や色は、人の気持ちに大きな影響を与えるらしい。
人と係ることも大切だと。
義母は、タイ🇹🇭に来てそれらを実践できたのだ。
楽しく長生きできたこと。
やっぱり、ここにいられて幸せだったのだ。
そう、思えるようになった。
本当は、日本に帰りたかったにでは…という思いに駆られて、切なくなることがあったけど🤭…
それにしても、今の世の中、人との関わりを分断させている。
なんか、変だ‼️
ソロソロ、終わりにしたい。