指は🤌5本全部動きます。
ただ、肝心の肘が最悪です。
そりゃそですよねぇ
肘を折ったのですから。
肩も少し上がるようになった頃。
「通院にしてみようか?」
通院とは言っても病院は近所ではない、
汽車(昭和です)で1時間チョットの街です。
何時迄も義姉に子供を、頼めるわけにはいきません。
子供の声が聞きたくて電話すると、決まって最後には、
「後どれくらいで退院なの?」
迷惑をかけていることは重々分かっていても
自分の思うようにはいかない。(⌒-⌒; )
「中指が🖕がオデコに付いたら通院にしてあげるよ❗️」の言葉を、
勇気に変えて、暇さえあれば訓練しました。
その頃には、朝から眠りこける事は、なくなっていました。
ある日、
先生に呼ばれると👨🏫
見知らぬ男性が、メジャーを持って立っていました。
「おめでとうございます」
ニコニコと挨拶。
「これから、装具を作るよ❗️
間も無く通院できる所まで頑張ったからネ‼️」
腕に金具と皮でできた物々しい装具が完成した。
週4日。
子供を連れての通院。
それはそれで、大変だった。
途端に、家事全般と通院なのです。
またしても、汽車に乗ると
爆睡の状態に。
でも、

子供と居られることに👶幸せを
感じていました。
歳の離れた兄が、実家に帰省した折
「なんでそんなことになったんだよ!」
ひとりで奮闘している私を見て(夫)に憤慨していた。
でも、兄が言ったからといって、夫が変わるわけではないことは、
分かっているので。
「辛くなったら、無理しないで子供と一緒に家に来い!」
この言葉、
どんなに私を勇気付けてくれたことか。
ここでも私は、言葉の大切さを知ることとなりました。
いざという時、逃げ込める場所があることは、
大きな勇気になることを。
この兄は、東京で工場を経営していた。
蛇口にレバーを付けてくれた。
このレバー。今は普通ですがその頃は、珍しかったのです。
私にとっては、画期的で嬉しく感謝でした。
「こんな物、手がぶつかって邪魔だ!」
兄が帰った後外してしまった夫。
実は、蛇口を回すのが一番辛かったのです。
肘にひびくのです。
それを、誰に嘆くでもなく、じっと耐えた。
『この方が訓練になるんだ!』と、
自分に言い聞かせた。